網走監獄を脱獄|網走刑務所


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日本一脱獄が難しい網走刑務所こと網走監獄。明治から昭和にかけて使用されていた建物を、現在は博物館として一般公開しています。

網走監獄 脱獄|網走刑務所

蝋人形でリアルな監獄風景を再現
abashirikangoku

北海道網走市の観光スポットといえば網走監獄です。正門手前には川が流れており受刑者は皆、そこに架かる大きな橋を渡って入所します。
橋の名は鏡橋。鏡橋には川面に映る自分の姿を通して、我が身を見つめ自ら襟を正し目的の岸に渡るべしという想いが込められています。
鏡橋から続く赤レンガ門をくぐると、そこはもう極悪最凶の監獄世界。
当時は木を製材する機械がなく、建物のほとんどが手作業で行われていた時代だそう。網走監獄内に染み付いた独特なニオイや囚人たちが残した木の削り跡からは生々しい過酷な刑務所生活が伝わってきます。
館内には実際に裁判所で使用されていた物を配置することで当時の法廷の様子を再現し、展示施設や脱獄者を監視する高さ8メートルの高見張りなど明治時代に使用されていた物を復元式で見学することができます。
また、薄暗くて異様な雰囲気の館内には何体もの蝋人形が置かれ、動きと声を加えることで囚人達の作業をする姿や生活の様子がリアルに再現されています。
刑務所生活を終えて再び鏡橋を渡り出所する囚人達の心境はどのようなものだったのか。日本一過酷と称された網走監獄で年老いていった彼らの姿を想像しながら見学をすると、より一層価値のある監獄体験ができるはずです。

網走監獄 脱獄|網走刑務所

二人の脱獄王

伝説の脱獄囚で有名な西川寅吉。別名、五寸釘寅吉とも呼ばれています。安政元年(1854年)百姓の次男として生まれた寅吉は賭場でいかさまをしていたことがバレて殺されてしまった叔父の仇討のため、相手一家に忍び込み親分を含めた4人を切りつけ放火します。
寅吉の初犯は無期懲役刑。当時は別の刑務所へ収監されるが初めて脱獄に成功。途中足に五寸釘が刺さった状態にも関わらず気合で脱獄し12キロも走り抜いたのだとか。
驚いたのは寅吉の脱獄方法で、濡らした獄衣を塀に叩きつけ一瞬の吸着力を狙って塀を乗り越えたという説があります。
その後も計6回の脱獄を繰り返し最終的には網走監獄こと網走刑務所へ移送。ここでは脱獄を企てることはせずおとなしく懲役に務めて無事出所したと言われています。

もう一人忘れてはいけないのが、昭和の脱獄王と呼ばれた白鳥由栄です。よしえという名前から網走監獄を訪れて初めて由栄が男性だったと気付く方も多いのだとか。
由栄の脱獄歴は青森・秋田・網走・札幌のそれぞれの刑務所で計4回、網走刑務所では看守の非人間的な扱いに憤慨し脱獄を決行することに。後に公開された由栄のエピソードでは、網走の冬は想像を絶する寒さで体がしびれて感覚がなくなるほどだった。夏は厚着をさせられ手錠や足錠の隙間にはウジが湧いて生地獄の囚人生活だったと語られている。

食事に出る味噌汁を鉄格子にかけること3カ月、ついに鉄枠が腐り不可能と言われた網走刑務所から脱獄に成功しました。当時の看守の間では一世を風靡した男と評され網走監獄の天井には蝋人形を用いて白鳥由栄がふんどし一枚で脱獄する姿が展示されています。

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メインの中央見張所と囚人達の生活

網走監獄内には重要文化財や登録文化財に認定された建造物がいくつも保存され、受付窓口で配布されるガイドマップ通りに進むと滞りなく施設内を見学することができます。メインは八角形の中央見張所から繋がった放射線状に建つ5つの囚人監房。八角形にした理由は、通路が見渡せて少人数で受刑者の監視ができるからなのだとか。
囚人達が寝泊まりをする部屋には、内側だけでなく外側にも居房番号と頑丈な窓格子が付けられ適材が揃わなかった明治時代とはいえ、脱獄するなど考えられない複雑な造りになっています。
また、受刑者達の入浴シーンもリアルでおもしろい。網走監獄では浴場に蝋人形を何体も設置し、刺青を入れた人やかけ流しをする人など囚人達の入浴シーンが再現されています。
入浴は監獄生活の中で一番ほっとする時間だったそうで明治45年にはコンクリートの浴槽にボイラー式を取り入れるなど近代的な浴場だったこともわかっています。
入浴人数や時間は決められており、脱衣3分、入浴3分、洗身3分、あがり湯3分、着衣3分、これら全てが看守の号令のもと15分刻みで行なわれていました。
6月から9月までは月5回の入浴、寒い冬場は月にたった1回の入浴しか許されなかったそうです。網走監獄へ足を踏み入れると当時の監獄ならぬ寒獄な囚人達の生活がリアルに伝わってきます。

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受刑者が恐れた独居房

独居房とは、刑の重い受刑者への懲罰として放り込む場所で窓や光も入らない暗い小屋のことです。
網走監獄内の独居房は2つ。独立型独居房と煉瓦造り独房があり1囚1房を原則とする監獄法に基づいて投獄されていました。その後社会復帰が行刑の目的となり社会性が養われる監獄法へと次第に変化していったのだそうです。
今でこそ網走監獄の夏場は涼しく真冬もそこそこ暖かい中で観光できますが、当時の真冬は零下30度に下がることも珍しくない時代。風を遮る二重扉や暖房がない小屋で7日間に渡って重湯と白湯だけが与えられました。冬に閉じ込められた受刑者達は凍死寸前や死者がでたほどで受刑者達の間では最も恐れられた懲罰と言われています。
網走監獄の独居房は明治時代に別の刑務所から煉瓦造りに長けた囚人達を集め、彼らの手によって作られたものです。他にも倉庫や門など様々な施設造りに徹し現在は復元式が公開されています。

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監獄食堂で囚人飯をいただこう

網走監獄では実際に刑務所で囚人達が食べているメニューを基に囚人飯を再現。明治時代の質素な食材とは異なり、焼き魚や切り干し大根、味噌汁など栄養満点の一汁三菜を主にしています。金額は800円前後~となっているのでその辺の定食代とほとんど変わらない料金で食べることができます。
当時は戦時中もあって食料も十分ではなかった時代。過酷な労働を強いられているのは受刑者だけでなく刑務所内を看守する彼らも同じでした。交代制とはいえ24時間監視しなければならないため冬場は凍えるほど寒く過酷で厳しい世界だったと言われています。看守らは三星という言葉をよく使っていたそうです。三星とは朝星、昼星、夜星と言って星が輝く頃に出勤し夜空を仰いで帰るという意味があります。
そしてもう一つは梅干し。梅干しを食べれば風邪をひかないということから昼食には必ず梅干しがついていました。
驚いたのは、米飯を食べることができたのは囚人達だけであったこと。看守を含めた刑務所の職員は配給しか手に入らず米飯はめったに口に入ることはなかったのだそうです。
このことから、北の刑務所こと網走監獄がいかに辛く地獄のような生活だったか。監獄を支え続けた刑務官達の苦労が垣間見れるような気がします。
日本一過酷と称された極悪最凶の網走監獄へぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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